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読書と食事は 偏り過ぎず・適量を

2022/10/26

知的生産の技術_画像

皆さんこんにちは。
ついにトレンドの波に乗ってしまいコロナり患してしまった所長の飯田です。
いつも流行の価値には遅咲きで気が向くのですが、今回もそのような感じです。いやむしろこの波には乗りたくなかったです。目に見えない敵に対してはなす術なしです。

元気になったら海の波に乗れるべく体づくりを始めることといたしました。
2年間のジョギング期間により足腰の筋力と心肺機能をトレーニングし、いよいよ次のフェーズに進めてみようと思っています。

さて
“終わりなき食べ路”を歩んでいた私ですが
そんなこんなで、今日からホテル療養生活に入りました。

社労士という立場上、「コロナに罹患しました、どうすれば良いでしょうか」という相談もいただきますので、自らの体験を踏まえて対応が語れるべく、チャンスと映ったものは全てトライしてみたいと考えています。
(療養住まいの様子は後日レポートしますね)

今日の話題は読書なのです。
良くも悪くも外出制限により机にこもる時間が捻出できた私は、
以前に読み終えた本で、「電子化保存をする前にもう一度読んでおこう」と思える本を手に取って読んでいます。

不思議と、過去に1度読んだ本を2回目以降に読む際には、話内容を漠然と理解しているためか、読む速度が尋常じゃないくらいに速く読めるのです。

ぱっぱっぱっと、目をスクロールしていくだけで、
「ふんふん。そうそう。あーそれね。そーとも言うよね。」
と理解もついてきます。

きっとこの状態を速読と言うのでしょう。


このことを反対から考えてみますと、
色々な予備知識やバックグラウンドがあることで、目の前にある本を読む速さというのは速くなるのだと思います。

そう考えますと、初期は基本的な書物をじっくりかみしめて読んだ方がいいのではないかなと思うのです。
量を沢山読むことがひとえに素晴らしいことだとも思えません。

速くすらすら読めるということは、今の自分の中にインプットされている予備知識で対応ができる水準のものなのでしょうから。自分を高める栄養素としては不十分なのかもしれません。
自分の中にインプットされていない未知なる領域と出会ってしまった場合は、読み進めたり理解に至るまでに非常に時間がかかるものだと思われます。

本も人も似たような性質ではないでしょうか。
僕はどんどん未知なるものや人に出会いたい。


そうした私が再度手に取ったのは『知的生産の技術』(著者:梅棹忠夫)です。(1969年初版 かれこれ53年前の名著ですね)

著者における情報整理の仕方(主にカード化&ファイリング化)について述べられた書籍ですが、50年が過ぎた今も、情報整理の仕方について充分に通ずるものと感じます。


この書籍の中に次のような下りがあり再度感銘を受けたのです。
「読書と食事のアナロジー」
「現代における書物のはんらん」
「ただ多くの量を食べたいのか、食べ合わせが大事なのか、栄養素はどうなのか」


現代は情報が溢れており、とりわけ、受動的な情報があちらこちらで人を飲み込んでいるように思えます。
ぼーっと眺めていれば時間が過ぎてくれるようなエンタメ要素の強い情報が、当人の考える力や思考力をそぎ落としてしまうような気がします。

楽なものには取り巻かれてしまいやすいですし、
自ら考える苦しみからは逃れたい 
という2者が仲良く結びついてしまいがちです。

遠い昔にプラトンが文字を使うことによる人間の退廃を心配していましたが、同じような心配をヤスオは思うわけです。

とまぁゴニョニョと人間の未来を考えている私です。

書いた人
飯田 保夫

社会保険労務士飯田事務所 所長。1981 年埼玉県生まれ。信州大学経済学部卒業、埼玉大学大学院経営管理者養成コース修了。法人の社会保険・ 労務管理支援のほかに、補助金や助成金を活用した経営改善の専門家として、首都圏を範囲に活動。役職:一般社団法人 日本介護福祉支援機構 監事など